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福島〜山形、ラフォルジュルネ2025

旅行と温泉にはまっている今日この頃。
GWの旅路は、東北地方に決定。
福島県から山形県の南部を訪れる計画です。
昨年2月に、いわき市に少し入りましたが、
今回は、福島県内を横断して、山を越え、山形県へ。
メインイベントを「山寺」登頂にして予定を立てました。

 

立石寺(山寺)


https://ja.wikipedia.org/wiki/立石寺

 

出発は5時30分。
行程を福島から山形の南側に絞ったので、
車で移動することにしました。
自宅から柏インター経由で常磐道に入るのに、
普段なら1時間以上かかるのですが、
早朝とあってスルスルと抜けられました。

 

右側に朝日を浴びながら、ひたすら北へ。
いわきJCTから猪苗代磐梯で降りて、
約4時間かかって「道の駅猪苗代」へ。
正面に猪苗代湖、背面に雪をまとった磐梯山
澄んだ空に、空気がひんやりとして気持ち良いーー!
長い運転の後だけに、身も心も解放された気分でした。

 

湖を南側に半周回って、崎川浜へ。
湖畔に砂浜が広がり、キャンプ場になっている区域。
眼前に猪苗代湖が広がり、静かに波打つ湖面。
その後ろに磐梯山がそびえる、壮観なロケーション。

 

 

☆猪苗代湖

日本の福島県会津若松市、郡山市、耶麻郡猪苗代町にまたがる断層湖。
日本国内で4番目に広い湖。
阿賀野川水系所属の一級河川の指定を受けており 、
福島県のシンボルの一つとされる。
湖水が澄んでいることから天鏡湖(てんきょうこ)とも呼ばれる。
白鳥の飛来地としても知られる。

 

そこから会津若松市に移動し、
昼食は喜多方ラーメンを。

 

続いて鶴ヶ城(若松城)へ。

 

☆鶴ヶ城
至徳元年(1384)に葦名直盛が築いた東黒川館を起源とし、
文禄2年(1593)に蒲生氏郷が東日本で初の本格的な天守閣を建てて
鶴ヶ城」と命名しました。
会津松平家は徳川将軍家と密接な関係にあり、
幕末には戊辰戦争の激戦地になりました。
慶応4年(1868)新政府軍の一か月に及ぶ猛攻に耐え、
難攻不落の名城として知られるようになりました。
明治7年(1874)までに天守閣をはじめとするすべての建物が
取り壊されましたが、
昭和40年(1965)に天守閣が再建され、
平成に入り茶室や隅櫓も復元されました。
平成23年(2011)には、屋根瓦が幕末当時の赤瓦にふき替えられました。

 

復元された城内には、江戸時代から、
幕末の戊辰戦争での、詳細な経緯が展示されていました。
天守閣からは市内を一望でき、
八重桜が咲いていて、
少し遅れた花見を楽しみました。

 

 

翌日の天気があまり良くなかったため、
予定していた五色沼の散策を前倒しすることにしました。

 

途中にある諸橋近代美術館に寄り、
「ととのう展 ~ヘルスケアにつながる美術館~」を見学。
博物館浴をテーマにした展示では、
ルノワール、シャガール、マチス、モジリアーニ、
ピカソなどの絵画を鑑賞。
常設で、シュルレアリスムの巨匠サルバドール・ダリの彫刻と絵画が
所狭しと並べられています。

 

 

☆諸橋近代美術館
磐梯朝日国立公園内の5.5万㎡以上の敷地内に
約2000㎡の面積で建てられている美術館は
創設者の希望である“中世の馬小屋”というイメージのもと、
厩舎を連想させる建物です。
内装は玄晶石を用いて自然の風合が漂う造りとなっており、
館内は外光を多く取り入れた天井高9mの展示ホールが
縦に約100メートル伸び、
ダリの彫刻展示に相応しい開放的な空間となっています。
美術館の窓からは、
壮大な磐梯山の噴火口や四季折々美しい自然を織りなす
庭園を望むことができ、
美と自然の競演を堪能できる空間となっています。

 

ダリが、彫刻や絵画のモチーフにした物で
代表的なのが、ぐったりと溶けた金属製の時計「記憶の固執」。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/
%E8%A8%98%E6%86%B6%E3%81%AE%E5%9B%BA%E5%9F%B7

 

この美術館では、
「時間の気高さ」
「記憶の持続」
「時間のプロフィール」
が展示されていました。

 

絵画でもインパクトがある作品ですが、
立体感のある大きな彫刻で感じる迫力は、
また別物。

 

展示されている絵画では「テトゥアンの大会戦」が圧倒的。
19世紀の画家マリアノ・フォルトゥーニの
《テトゥアンの大会戦》に触発されて制作した大作で、
1860年に起こったスペイン軍のモロッコ進駐を主題としています。
騎馬兵の中には、ダリと共に妻ガラの姿が描かれていて、
ガラの勇ましく剣を振り上げる様は、
ダリを世界で通用する芸術家へと導いた
マネージャーとしての奮闘ぶりを表しているよう。

 

美術館から次に向かったのは、五色沼湖沼群
1888年(明治21年)磐梯山頂北側、
小磐梯を含む部分が水蒸気爆発によって山体崩壊を起こし、
岩なだれが川をせき止め、このエリアに数百もの湖沼が形成されました。
2016年にミシュラン・グリーンガイド1つ星に認定。
五色沼湖沼群は、
毘沙門沼・赤沼・みどろ沼・竜沼・弁天沼・るり沼・青沼・柳沼などの
数多くの湖沼の総称。
沼によって、エメラルドグリーン、コバルトブルー、
ターコイズブルー、エメラルドブルー、パステルブルーと
色が違う不思議な場所で「神秘の湖沼」と言われます。

 

 

五色沼自然探勝路は、
湖畔の少しアップダウンのあるトレッキングコース。
磐梯山を見通せ、ウグイスなどの野鳥のさえずりと
樹々の触れ合う音が心地よく、
ところどころ雪が残る散策路でした。

 

時間の関係で、途中の赤沼前で引き返しましたが、
十二分に自然を堪能できました。

 

早めに宿に到着。
標高が高いせいか、周囲にはまだ桜が咲いていました。
日本屈指の酸性泉・源泉湧出量日本一級の中ノ沢温泉で疲れを癒します。

 

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翌日は、午後から雨の予報。
早めに出発して、磐梯吾妻スカイラインへ。
夜間に通行止めになる道は、雪がそこかしこに残るうえ、
道幅が狭く、うねうねと曲がりながら登っていく。
対向車はまばらながら、ひとときも気が抜けません。
国見平でも、重い雲が立ち込め、平地では晴れているものの
山の頂から見る絶景とはいきませんでした。

 

 

東吾妻山、一切経山(いっさいきょうざん)、
吾妻小富士などに囲まれた浄土平は、噴火口が見える開けた土地。
この日は、非常に寒くて霧が深く、景色も全く見えず、
吾妻小富士への登山道も残念ながら人が入れないほどでした。

 

そこからは、福島市側へと山を下って行きますが、
火山から噴出するガスの影響で、窓を開けたり、
停まって外に出ることすら出来ない状態。

 

途中にある公共温泉「高湯温泉共同浴場」へ。
500円で入れる温泉は、シャワーも何もない昔ながらの施設。
半露天風呂で、大変人気がある温泉。
ほぼ満杯のお風呂でしたが、熱めの湯温と外気の差を感じながら
次のお客さんに席を譲りました。

 

さらに下って、福島市へ。
そこから、山形県米沢市に向かい、
上杉謙信を祀る上杉神社へ。
ちょうど「米沢上杉まつり」が始まる日で、
周囲はお祭りに参加される市民の方、
たくさんの屋台で溢れ、駐車も難しいほど。

 

☆上杉まつり
昔から「県社(上杉神社)のまつり」や「城下のまつり」ともいわれ、
上杉神社の例祭日が従業員の公休日だったこともあり、
米沢の重要な祝日とされてきました。
この時期はちょうど松が岬公園の桜も満開になり、
たくさんの露店が軒を連ね、
公園内で花見やそぞろ歩きを楽しむ人々で賑わいます。
娯楽の少なかった時代から現在まで、
米沢市民はこのまつりに春を迎えた喜びを感じ、
米沢の一大イベントとして親しまれてきました。

 

参拝後、神社からほど近い山懐料理吉亭 で、
米沢牛のステーキランチを頂く。
庭園を眺めながら、ゆったりとコースを堪能しました。

 

そこから、宿泊先の長井市へ。
雨が降る中、米沢市八幡原工業団地内の
魅惑のくちびる「SORRISO」を鑑賞。

 

☆S0RRISO(ソッリーゾ ほほえみ)
自然と人に和とするところ、八幡原。
ここに、永遠の発展への祈りをこめ
<ほほえみ>をおくる。1995.10

 

デザイン 東北芸術工科大学
五十嵐治也 ・三橋幸次

 

芝生の中に、無機質なオブジェが浮かぶ不思議な空間。

 

更に山側に向かい、土偶広場では、縄文時代の土偶が並ぶ中、
誰もいないので人が珍しいのか、
池にいるアヒルが群れで近寄ってきて、
土偶とアヒルの不思議なコラボを味わいました。

 

 

宿泊先で、温泉とサウナ、岩盤浴を満喫した後、
マッサージを受けて就寝。

 

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3日目は、朝食の始まりを待って、お腹を満たしたあと、
温泉にもう一度入ってから出発。

 

昨夜の雨が嘘のように止んで、快晴。
1時間かけて、宝珠山立石寺へ。
付近は寺を中心とした街になっています。

 

☆「山寺」の通称で知られる「宝珠山立石寺」。
奇岩怪石からなる山全体が修行と信仰の場になっており、
登山口から大仏殿のある奥之院まで1時間ほどの道のりの
そこかしこに、絶景の景観が広がります。
俳聖・松尾芭蕉が「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の名句を
紀行文「おくのほそ道」に残したことでも知られています。
1015段もある長い石段を登って奥之院を目指すのが王道の参拝ルート。
石段は登ることにより煩悩が消滅すると言われている、
ありがたい修行の石段。
修行とはいえ、
途中には句碑などの史跡や絶景が広がるスポットなど
見どころがたくさんあり、
知的にも感覚的にも楽しみながら登ることができます。

 

GW後期の初日とあって、開場前からすでに大変な人出。
山門から、不規則な階段をひたすら登っていきます。
杉木立を縫うように続く1000段にも及ぶ不規則な石段。
松尾芭蕉の句碑や史跡が点在しています。
せみ塚から仁王門へ。
気が遠くなるほど登ると聞いていたので、
事前に脚のプチ筋トレを行なっていました。
その効果もあったのでしょう、あまり息切れもせずに、
頂上までたどり着けました。
奥之院から、日本最小規模の「三重の小塔」。
内部には三重塔の本尊である大日如来像が安置されています。
開山堂、納経堂へ。
開山30年後に建立された五大明王を祀る道場五大堂では、
前日の雨で空気が洗われ、絶景が味わえました。
木々の緑と、川の流れ、山々の景色が
遠くまで見渡せて気持ち良かったです。

 

 

 

 

登ってくる多くの人とすれ違うように下山。
そこから川沿いの芝桜まつりへ。
清流とピンクの絨毯のコントラストを楽しんだ後、
帰路につきます。
11時に出発して、ひたすら高速を走り、
17時過ぎにはうちに着きました。
心配していた渋滞にも合わず、
充実した旅路でした。

 

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4日は休息に当て、5月5 日は恒例の
ラ・フォル・ジュルネ 東京 2025」へ。

 

まずは10時からのAホール。

 

・ガーシュウィン:ラプソディ・イン・ブルー
・ガーシュウィン:パリのアメリカ人
壷阪健登(ピアノ)
東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

 

壷阪健登君は、若手ジャズピアニスト。
溌剌とした演奏、キラッと光るカデンツァ。

 

「パリのアメリカ人」は交響詩。
自動車のクラクションが使用される面白い曲。
現代の都会の生活や喧騒が、
ウィットを交えて楽しく描き出されている。

 

続けてAホール12時30分から。
・ラヴェル:組曲「マ・メール・ロワ」
・ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲 ニ長調*
・ラヴェル:ピアノ協奏曲 ト長調**
*福間洸太朗 (ピアノ)
**アリエル・ベック (ピアノ)
東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

 

続いて、ラヴェルの書いた2曲のピアノコンチェルト。
特にト長調の協奏曲は、
ジャズの要素をふんだんに盛り込んだ作品。
出だしで、鞭を使う奇抜な構成。
そして、なんと言っても2楽章のワルツ。
叙情的なサラバンド風。
擬古的な美しさと、アラベスク風の装飾音。
ピアノのトリルで儚げに終わる。

 

ランチはいつものビアハウスで、
ドイツビールと今年はシュピーゲルフリット

 

15時からのエリアコンサート。
・グリュンフェルト :《ウィーンの夜会》
・ヨハン・シュトラウスのワルツ主題による演奏会用パラフレーズ op.56
・クライスラー(ラフマニノフ編):愛の悲しみ
・ガーシュウィン:ラプソディ・イン・ブルー
・ドビュッシー:月の光
新居由佳梨(ピアノ)

 

先ほどと違ってクラシックピアニストが弾くガーシュウィン。
クラシックのピアニストは、指の上り方が大きいので、
アタックが強いけれど、繊細な表現をします。
オケとの競演と、ソロ演奏の違いはあれど、
曲の構成はこちらの方が良かったと思います。

 

16時からCホール。
・モーツァルト:ピアノ・ソナタ第17番 変ロ長調 K.570
・ブラヘトカ:ノクターン 変ニ長調 op.62
・コルンゴルト:4つの小さな楽しいワルツ
・シェーンベルク:ピアノ曲断章
・ラヴェル(福間編):ラ・ヴァルス
福間洸太朗(ピアノ)

 

18時15分からAホール。
・ロベルト・シューマン:ピアノ協奏曲 イ短調 op.54*
・クララ・シューマン:ピアノ協奏曲 イ短調 op.7**
*小林愛実 (ピアノ)
**ダヴィッド・カドゥシュ (ピアノ)
東京フィルハーモニー交響楽団

 

クララ・シューマンは、ロベルト・シューマンの妻でピアニスト兼作曲家。
クララの作曲したピアノ曲には佳作も多いのですが、
ピアノ協奏曲が演奏される機会はほぼありません。
ましてや、シューマンのピアノ協奏曲との同時演奏は、
このイベントならではのプログラム。

 

1 日でピアノ協奏曲を
(ガーシュウィンのラプソディ・イン・ブルーは
正確にはピアノコンチェルトではない)
5曲も聴くなんて、
ラ・フォル・ジュルネ以外ではあり得ない!!

 

ラプソディ・イン・ブルーのオケ版とピアノソロ版を同日に聴く事も、
もう一生無いでしょう〜♫

 

そこから、船橋に戻って20時。
ホームのジャズバーコクリコットへ。
推しピアニスト福井亜実さんとパーカッション藤橋万記さんの初デュオ。
ピアノとパーカッションのデュオというのはあまり無い組み合わせ。
亜実さんのオリジナルや、スタンダードも、
いつもと違った切り口になっていて楽しい。

 

翌日6日昼も、コクリコットへ。
昨夜と同じくピアノは福井亜実さん、ギターは浅利史花さん。
連休最終日、雨なのに満席のお客さん。
スタンダードを中心とした曲構成で、
2セットを楽しみました。

 

旅行に温泉、クラシックとジャズを満喫した今年のGW。
心身ともに癒され、しっかり充電出来ました。

 

 

 

 

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グレン・グールド

グレン・グールドというピアニストを知っていますか?

 

私のようなクラシックオタク(略してクラオタ)なら、
円盤式レコードという録音媒体が1887年に出来てから、
現在までの、主だった演奏家はある程度知っています。

 

しかし、クラシックを聴かない人にまで
知られている演奏家や指揮は、それほどいません。

 

そんな中で、グールドはピアニストとしては
おそらく一番有名な人物でしょう。

 

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/グレン・グールド#グールドの功績

 

カナダ出身のピアニスト グレン・グールド(1932-82)は、
デビューからあり得ないくらいの人気で、
いまでこそクラシックの垣根を超えて広く愛される伝説の人ですが、
生前はクラシック界きっての異端児扱いでした。

 

グールドは、声楽家であった母親からピアノの手解きを受け、
1940年にカナダの王立音楽院に合格。
音楽理論、ピアノ、オルガンを習い、
1945年にベートーヴェンの『ピアノ協奏曲第4番』でデビュー。

 

コロンビアとの専属契約をしたのち1955年に録音されたアルバム、
ヨハン・ゼバスティアン・バッハの『ゴルトベルク変奏曲』によって
彼は世に知られるようになりました。
『ゴルトベルク変奏曲』は、当時ピアノの
レパートリーとしてみなされておらず、
プロデューサーは、その選曲に反対していました。
ところが、レコードは飛ぶように売れました。

 

端正な風貌と、夏でもお気に入りのコートとマフラー、手袋をし、
ミネラルウォーターしか飲まない、
決まったビスケットと抗生物質やビタミン剤などの
サプリメントしか口に入れない、
異常なまでの潔癖症、
などの極端に偏った行動が、人気に拍車をかけました。

 

 

彼は、「ピアノは背筋を伸ばして弾くものだ」という常識をひっくり返し、
ピアノの椅子は極端に低く、
椅子の脚を切り落としたものを使っていました。

 

演奏中にハミングする、自分の演奏の指揮を左手でする、
バッハやベートーヴェンの譜面も書き換えてしまう、
そんな型破りな人物で、
曲に対するアプローチも、
いわゆるクラシックの定型とはかけ離れていました。
極端な強弱、独特の奏法、繰り返しの指示は無視、
録音テイクを重ね気に入った部分を切り張りする手法・・・
個性的過ぎる稀有な演奏家です。

 

 

〈グレン・グールド略歴〉
1939年1月:カナダ・トロントに生まれる。
幼少時から音楽に天賦の才を発揮する。
1950年12月:カナダCBCネットワークの
ラジオリサイタルでラジオ初出演。
1955年1月:ワシントンのフィリップス・ギャラリーでアメリカ初公演。
1955年6月:ニューヨークのCBSスタジオにて
『ゴルトベルク変奏曲』を録音。
1956年1月:『ゴルトベルク変奏曲』発売。ベストセラーに。
1959年8月:ザルツブルク音楽祭出演。
1964年3月:シカゴ・オーケストラホールにてリサイタル。
最後の公開演奏。
1981年5月:55年と同じスタジオで『ゴルトベルク変奏曲』を再録。
1982年10月:脳卒中で死去。享年50歳。

 

 

<グールドのピアノ>
グールドは終生、自分に合ったピアノを探し求めていました。
彼は、自分の弾き方や鍵盤の戻りなどにこだわりがあり、
気に入ったピアノしか弾きませんでした。
1955年の『ゴルトベルク変奏曲』で使用したスタインウェイは、
輸送中の事故で使えなくなりました。
その後、様々なピアノを試奏しますが、
なかなか納得がいかず、
トロントの百貨店の上にあるホールに眠っていた
第二次世界大戦以前のピアノが彼の目にとまります。
スタインウェイ側も、グールドの要求に耐えかねていて、
本来は使用済みのこのピアノを貸与しました。
スタインウェイCD318、彼は膨大な録音の大半を、
このピアノで行っています。

 

また、グールドはデビュー後も、ピアノに
チェンバロの感触、音を求め、
楽器に改造をしました。
ピアノのハンマーからフェルトを取り去り、
代わりに金属板をつけて弦を叩くという、
「自分がハープシコード(チェンバロ)だと思い込んでいるピアノ」
通称ハープシピアノです。

 

20代は世界各地へ演奏旅行に赴き、錚々たる指揮者たちとも
共演して名声を築きます。
しかし、かねてから演奏の「一回性」(再現性が無いこと)に疑問を呈し、
演奏者と聴衆の平等な関係に志向して、
演奏会からの引退を宣言していたグールドは、
1964年4月のリサイタルを最後に演奏会活動から手を引いています。
それ以降は、没年までレコード録音及びラジオ、
テレビなどの放送媒体のみを音楽活動としていくのです。

 

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私がグールドの存在を初めて知ったのは、
映画『羊たちの沈黙』(1990)でレクター博士が獄中で、
FBI捜査官に情報の見返りとして依頼する
グレン・グールドの録音テープでした。
そこに収録されていたのは、81年版の『ゴルトベルク変奏曲』。
(原作のレクター博士の人物設定では1955年版が愛聴盤で、
許諾の関係でテーマとして使用されたのは1981年版)

 

同じ録音のCDを購入し、何度も繰り返し聴きました。
当初グールドの様々な逸話を知らなかったので、
演奏中に聞こえてくる彼のハミングを
心霊現象だと勘違いしました。

 

<グールドが演奏した作曲家>
グールドは、一般的なクラシックのピアニストとは
一風異なるレパートリーの持ち主でした。
バッハに対する傾倒ぶりは、その録音数の多さや、著作物からも伺えます。
彼の興味の対象は、フーガなどのポリフォニーにありました。
バッハは、当時もはや主流ではなかった
ポリフォニーを生涯追求しましたが、
グールドは、その芸術至上主義的な姿勢に共感していました。

 

モーツァルトのソナタは、「苦痛な作業」と言いながらも
全曲録音を行っています。
彼はモーツァルトの装飾性を軽蔑していたため、
装飾記号を無視しています。
ベートーヴェンのソナタは、曲によって賛否両論を唱え、
ロマン派の作曲家には好悪が入り混じっていました。
特に、多くのピアニストが敬愛するショパンとリストには否定的で、
録音はショパンの『ピアノソナタ第3番』が残っているだけです。
そんな中では、ブラームスの録音数が際立っていますが、
その演奏については好き嫌いが分かれるところです。

 

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☆Bach : Goldberg Variations June 1964

 

1964年CBCで録画された『ゴルトベルク変奏曲』の抜粋版。
まだ鍵盤と顔の位置が遠く、ハミングも控えめ。
体を大きく動かして、ペダルを極力抑え、指はあまり上げず、
鍵盤間を這うような弾き方(ノンレガート奏法)はこの頃から。
バッハの作品の構成や構造の中にある
音色美や芸術性を追求した結果であったのでしょう。

 

レガートとは
音楽用語の一つで、音の間を切れ目なく、なめらかに演奏すること。

 

ノンレガート奏法とは
各音の間をわずかに区切って演奏する奏法。
個々の音が独立して聴こえるようにする、
スタッカートほどには切らないのが特徴。

 

☆Glenn Gould – Off the Record 1959

 

「グレン・グールド:27歳の記憶」
カナダ トロント北部の湖畔にあるグールドの自宅での練習風景、
演奏に使うピアノの選択、CBCでの録音の模様が記録されています。
インタビューでは、彼の演奏に対してのこだわり、
録音に対する執着が伺えて、非常に興味深い動画です。

 

☆Bach : Fugue in E Major from The Well Tempered Clavier Book 2 – BWV 878

 

『BWV878 前奏曲とフーガ』のフーガ。
非常にゆったりとしたテンポで演奏される。
お得意の左手の指揮。
細かい強弱を付け、
立体的な音の構築を見事にしています。

 

元々バッハの時代の鍵盤楽器では、
音の強弱や長短をつけることがほぼ出来なかったので、
バッハに限らず、バロック期の曲をピアノで演奏するに当たって、
曲中のアーティキュレーション
(音と音のつながりに様々な強弱や長さの変化をつけること)は、
演奏者の解釈によることとなります。
グールドは、独自のアプローチで、
バッハの作品を新たな境地に到達させました。

 

同じBWV 878をアンドラーシュ・シフの演奏で。
シフは、現代のピアニストの中でバッハ演奏の第一人者です。
2014年にイギリス女王からナイトの爵位を与えられています。

 

 

4:23〜フーガです。
前半は静かに流れるように、
緻密な構造物を正確に作り上げていくように弾かれていきます。
後半少しずつ音を強くしてピークが来るようにしています。
強弱の振れ幅も極力少なく、侘び寂びを感じるような好演。
グールドの演奏に比べて、
滑らかで、一音一音を独立させるような弾き方ではありません。
歌い上げるグールドのそれとは違って、
流麗で美しく語りかけるような演奏。

 

☆Bach : ブランデンブルグ協奏曲第5番

 

バッハによるこの作品は、最初の鍵盤楽器協奏曲と言われています。
この演奏は、クレジットにもあるように
前述のハープシピアノで行われています。
9:48あたりからのカデンツァで、
その音色がピアノとは異なることがわかるでしょう。

 

☆Bach : Piano Concerto No. 7 in G minor

 

珍しいカラー映像での動画。
1967年11月15日収録。
ピアノはスタインウェイ。
グールドにしては、割りとオーソドックスな演奏。
録画当時のバッハの曲解釈では、メリハリをつける事が普通だったので、
オケが重すぎて過剰に感じられます。

 

☆Scarlatti : 3 Sonatas, K. 430, 9 & 13

 

スカルラティのソナタ3曲は
未完のイタリアン・アルバム」に収録されています。

 

チェンバロを意識した装飾音。
本来はないはずの強弱を、独特の解釈で付けています。
特に、Sonata in D Minor, K.9 は、
スカルラティの作曲家としての価値を高めた
歴史的名演といって良いでしょう。

 

 

 

☆Beethoven : Piano Sonata No 30 in E Major

 

1964年の録画。
イントロでグールドが語っていますが、
そこは飛ばして6:45からの演奏を聴きましょう。
第1楽章、第2楽章ともグールドにしては常識に適った演奏。
全曲の重心のほとんどは第3楽章に置かれていて、
主題と6つの変奏曲形式になっています。
特に第4変奏は、バッハを意識した
2声から4声の声部が対位法を用いてまとめられていく、
温かみのある変奏。
第6変奏では、4分音符で始まったリズムの刻みは8分音符、
3連符の8分音符、16分音符、32分音符と細かくなっていき、
最後は、主題がそのまま回想されて終わる。
主題が最終変奏で回収されるという変奏曲であるという特徴から、
この楽章は、バッハの『ゴルトベルク変奏曲』との類似性を
指摘されています。

 

☆Bach : French Overture BWV 831

 

バッハのフランス風序曲は、
数あるバッハの作品の中でも私が最も好きな曲
そのきっかけになったのが、この録音。
1969年3月13日にトロントで収録。
出だしから7分にも及ぶ序曲が全体を支配します。
2楽章からは、軽快で優雅な音楽になっており、
フランス的な軽妙なギャラント様式が盛りこまれています。
最終楽章のエコーは、早いテンポで
強弱が付けられて演奏されています。

 

☆Bach : Partita No. 2 in C minor, BWV826

 

グールドのバッハの中でも『ゴルトベルク変奏曲』に匹敵する
名演として名高いパルティータ全曲。
そのヴィヴィッドな演奏は、いまだに少しも色あせず
新鮮さを保っているばかりでなく、
さらなる刺激を与え続けています。
音の粒立ちが良く、全体的にメリハリが付いた、鮮やかな演奏です。
私の「バッハ:パルティータ集」の基準もグールドの演奏です。

 

 

☆Bach : Goldberg Variations 1981

 

彼が1982年に亡くなる直前の録画でした。
晩年の演奏とはいえ、グールドならではのメリハリをつけた
色鮮やかな好演。
没頭して演奏している姿を見ると、
まさしくバッハに成り代わったかのよう。
全体を見てみると、特に第15変奏と
第25変奏が際立って遅いテンポで演奏されています。
そして、次の第16変奏は、折り返し地点。
後半の開幕を告げるような、歌い上げるような演奏。
第26変奏は、終盤への序奏。
ここから、グールドのテンションはさらにギアがあがっていきます。
そして、第30変奏で、マックスに。
最後のアリアは、最初のアリアよりもゆったりと。
弾き終えた後にうな垂れるグールド。
アリアと30の変奏という長い旅の終着点にたどり着いた、
そのような感慨もあるのでしょうが、
グールド自身が、人生の終末にいるということを判っていたかのような
達成感のある演奏だと思います。

 

『 晩年は愈々孤高ともいうべき自らの世界に閉じこもって、
自分だけの世界をレコードという型で
作ろうとするようになったのは周知の通りである。
その晩年に録音された『ゴルトベルク変奏曲』が高い評価を
受けているのは、彼の内部に結実していった
鋭利な音楽性の到達した終着点ともいうことが出来よう。
朝比奈隆 』

 

『 芸術の目的は、瞬間的なアドレナリンの解放ではなく、
むしろ、驚嘆と静寂の精神状態を生涯かけて構築することにある。
グレン・グールド 』

 

前述したようにグールドが新たにもたらした事柄は、
枚挙に暇がありません。
・クラシック音楽の常識の破壊
・独奏者とオーケストラや指揮者との関係性
・バッハの曲に対する新しいアプローチ
・左手と右手の絶妙なバランス
・録音に対する執念
・演奏するときの姿勢のこだわり
・曲の解釈に対する独自性

 

グールド前グールド後

 

彼の登場以前には、タブーとされていたことが、
「あり」なのだと世に示されたとたん、
彼が取り上げた曲が、ピアニストのレパートリーに加わり、
バッハの奏法や曲の評価までも変えてしまった。
今でも、グールドに影響を受けたであろう演奏や録音が
散見されます。

 

一つの価値観となったグールドの斬新な演奏。
亡くなって40年以上経ちますが、
今でも人気は根強く、録音・映像・著作の紹介や学術研究が続いています。

 

 

カノンデンタルクリニック
〒275-0011
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山口への帰省

院長の波木です。

 

私は、大学時代を除き小学生の後半から千葉県に住んでいますが、
生まれたのは山口県宇部市です。
父母ともに宇部の出身でしたので、
親戚も周辺に集まっています。
生後すぐに下関に、それから防府市に移りました。

 

小学生の頃、夏休みのほとんどを山口で過ごし、
岩国の錦帯橋の下で川泳ぎをしたり、
近所で蝉や蜻蛉を取ったり、
川でどじょうやイモリを取ったりしていました。
また、海が近かったので、海水浴にもよく行って、
肌は日に焼けて真っ黒。
潮干狩りをしたり、春の大潮の時には、マテ貝を取りに行きました。

 

開業してからは、法事以外で帰省する機会がありませんでした。
前回帰省したのは父の7回忌。
その後の13回忌はコロナ禍で帰省できず、
17回忌の今回は10年ぶりになります。

 

羽田発7:30の便に乗るために、4時起きして、
5:50京成津田沼発の高速バスに乗車。
9時半に山口宇部空港に到着。
空港周辺の開発のため、祖父母の家は庭をほとんど失い
様変わりしていました。
宇部線草江駅近くで墓参りをし、祖父母のお仏壇で焼香した後、
実家にお坊さんがいらして法要。
1 時間ほどの読経を親族で唱和し、有り難い説法を聴き
親族と短い時間の会話の後、
母と妹、姪を連れて2泊の旅行へ。

 

長門の旅館が最初の宿泊先ですが、
その前に角島へ向かいます。
角島は、山口県下関市にあります。
それまでは渡船による交通が主でしたが、
2000年に本州と島をつなぐ橋が出来ました。
完成後は、橋の両側のエメラルドグリーンの海と
まっすぐ延びた橋の景観から、山口県の新たな観光名所となっています。
CMやドラマのロケ地としてよく使われています。
橋の長さも一般道としては日本屈指の長さです(1780m)

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%92%E5%B3%B6%E5%A4%A7%E6%A9%8B

 

島の北西端にある角島灯台へ向かいます。
角島灯台は夢ケ崎に立つ日本海側初の石造りの洋式灯台で、
明治9年に初点灯し、今なお現役で活躍しています。
灯塔は総御影石造りで、日本に2基しかない無塗装の灯台。
「灯台の父」と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントンによる設計。
この灯台は、歴史的文化財的価値が高いAランクで、
日本の灯台50選、近代化遺産、
土木学会選奨土木遺産にも選ばれています。

 

 

隣接する夢崎波の公園は、「波」をテーマにしていて、
ハマユウ、ダルマギク、スイセンハマヒルガオなど、
角島自生の草花が楽しめます。
ちょうど水仙が咲いていて、周囲は良い香り。
公園の端に行くと、ちょうど日が水平線に沈むところ。
晴天で空気も澄んでいるうえ、波も穏やかだったので、
海に沈んでいく太陽がとても綺麗に見えました。

 

 

そこから宿泊先の油谷湾温泉楊貴館へ。
温泉総選挙で「うる肌部門」で第1位に輝いた温泉は、
少しとろみのある泉質。
晩御飯は、部屋で。
とらふぐを、ふぐ刺、ふぐちり鍋、〆に雑炊で頂きました。
翌朝も早くから温泉につかったあと、
バラエティーに富んだ朝食を食べて出発。

 

まず元乃隅神社へ。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E4%B9%83%E9%9A%85%E7%A5%9E%E7%A4%BE

 

神社から日本海を見下ろすと、冬の厳しい風が吹く中、
断崖に荒波が打ちつけています。
海側から100m以上にわたって123基の鳥居が並ぶ姿は圧巻。
時折雨が降る天候の中、つかのま陽がさして虹が綺麗に見えました。

 

 

 

の市中を経由して津和野へ。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E5%92%8C%E9%87%8E%E7%94%BA

 

津和野は、島根県の小京都。
山口県との県境に位置する津和野町は、
旅情にあふれた町並みが魅力のエリア。
地名の「津和野」は「つわぶきの生い茂る野」に由来するとされ、
町の花はつわぶき。
石畳の通りや細い路地、かつての藩校跡や家老の屋敷など、
江戸初期に形成された城下町の町並みが
ほぼそのまま残っています。

 

ところが、折からの寒波で山道は雪。
冬タイヤの装備はしていたものの、
慎重に運転して昼過ぎにようやく到着。

 

昼食をとり、雪の降る街を散策。
津和野は、長崎から送られた潜伏キリシタンの殉教地。
津和野カトリック教会へ。

 

 

1931年ドイツ人シェーファーによって建てられたゴシック風建築。
木造モルタル造りの建物は、古い街並みでひときわ目を引きます。

 

津和野のメインストリートである殿町通りには、
なまこ塀塀割に泳ぐたくさんの鯉がいます。

 

次に向かったのは、太皷谷稲成神社
殿町通り南の参道から続く、約1000本の鳥居を抜けた先に、
鮮やかな朱塗りの社殿がお出迎え。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E7%9A%B7%E8%B0%B7%E7%A8%B2%E6%88%90%E7%A5%9E%E7%A4%BE

 

安永2年(1773)に建立され、2023年で鎮座250年を迎える古社。
日本五大稲成のひとつに挙げられています。

 

みやげ物屋で名物の源氏巻の製作工程をみて、
出来立てを頂く。
温かくて表面が香ばしく美味!
源氏巻が作られるようになったのは江戸時代末からと言われています。

 

https://www.kankou-shimane.com/destination/20959

 

雪道を萩へ戻って、以前から興味があった萩焼の工房へ。
萩焼作家・金子司工房を訪れる。

 

萩焼は、古くから「一楽、二萩、三唐津」と謳われるほど、
茶人好みの器を焼いてきたことで知られる焼き物。
特徴は、原料に用いられる陶土と
それに混ぜる釉薬の具合によって生じる「貫入」
使い込むことによって生じる「七化け」
貫入とは器の表面の釉薬がひび割れたような状態になることで、
七化けとはその貫入が原因で、長年使い込むとそこにお茶やお酒が浸透し、
器表面の色が適当に変化し、枯れた味わいを見せること。

 

金子司さんの作品は、赤、青、黄などカラフルな色使いに、
細かな水玉模様や細く伸びた放射状の模様など、
個性的な作品ばかり。
特にキノコのオブジェは、オリジナリティがあって惹きつけます。
ご本人に作品の解説を丁寧にして頂き、
キノコのオブジェが四方の壁と天井を覆うキノコ部屋や
作品の製作過程を見せてもらいました。
基本的に筆は使わず、スポイトを使って色を置き、
重力を使って自然に流すことで絵付けをする墨流しという
独自の技法で制作しているそうです。

 

キノコのオブジェ数点と皿を購入。
現在クリニックの待合室に飾っています。

 

 

2日目は、「萩本陣」に宿泊。
見蘭牛(萩のブランド牛)のすき焼きを含む和懐石を食べ、
名物の7種の温泉にゆったりとつかる。
翌朝も温泉に入った後、和食を堪能。

 

ホテルを出て萩の街並へ。
白壁が映える一角を歩きながら、幕末の獅子たちの想いにひたる。

 

中心部から離れて、2万5000本のヤブツバキが自生している
笠山椿群生林を回りましたが、
「萩・椿まつり」の前で、残念ながら咲いているものは
あまりありませんでした。

 

山口市の菩提寺で焼香を。
宇部に戻って資さんうどんで、ごぼう天うどんを食べ、
山口宇部空港でお土産を買って、空路羽田へ。

 

慌ただしい2泊3日の行程でしたが、久しぶりに親孝行もでき、
親戚にも会えて、充実した帰省になりました。

 

山口は観光名所が散らばっていて、
脚がないとなかなか行きにくい場所です。
関門海峡がのぞめる下関、瑠璃光寺や湯田温泉がある山口市
錦帯橋がある岩国カルスト台地の壮大な景色が広がる秋吉台
日本屈指の大鍾乳洞秋芳洞
そして今回訪れた長門、幕末獅子を生んだ
三方を海で囲まれるゆえの豊かな海産物。
ぜひ一度訪れて欲しい場所です。

 

 

 

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ヘンデル その2

こんにちは。院長の波木です。

 

前回は、ヘンデルのオペラとオラトリオの作品を紹介しました。
今回は、管弦楽曲と器楽曲を聴いてみましょう。

 

水上の音楽
1717年に創作した「水上の音楽」は、
テムズ川を舞台にした王室の船上パーティーで
演奏されたと言われる22曲からなる壮大な組曲。

 

この作品はジョージ1世の依頼により生まれ、
その中でも「アラ・ホーンパイプ」が特に親しまれています。
この楽章は川の上での舟遊びの躍動感と
楽しさを生き生きとしたリズムと鮮やかなメロディで表現している。
ヘンデルは水の流れや自然の美しさを音楽で描き出し、
聴く者をその場にいるかのような感覚にさせる。

 

この組曲は、弦楽器やオーボエ、ホルン、トランペット、
フルート、リコーダーといった豊富な管弦楽編成を駆使し、
フランス風の序曲と軽快な舞曲で構成されている。
特にオーボエとホルンをフィーチャーした第1組曲、
トランペットが輝く第2組曲、
そしてフルートとリコーダーが中心の第3組曲は、
それぞれが異なる楽器の魅力を引き出し、
多彩な音楽的表現を楽しむことができる。

 

初演時、50人にも及ぶオーケストラが船上で演奏を行い、
夜明けから日の出までの演奏は大成功を収めたこの曲は、
国王からはアンコールの要請もあった。
この時の演奏者たちには当時としては
高額な報酬が支払われたと伝えられており、
その華やかさと演奏の質の高さが伝わってくる。

 

 

☆〈Water Music〉Suite No.1 in Fmajor, HWV348
Ouvertüre (Largo – Allegro) – Adagio e staccato

典型的なフランス風の序曲。
ゆったりとした出だしから、アレグロではヴァイオリンのソロから始まる。
オーボエと弦楽器の掛け合いはイタリア様式を感じさせる。
オーボエがソロを取るアダージョは実に優美。

 

 

☆〈Water Music〉Suite No.2 in D major, HWV349
Alla Hornpipe

全曲の中で最も紹介される機会の多い曲。
「ホーンパイプ」は3/2拍子の英国のフォークダンス。
「アラ」は「〜風」なので、「ホーンパイプ風」ということ。
トランペットとホルンで華やかで 洗練された雰囲気を醸し出します。

 

第1組曲から第3組曲までの全曲。

 

古楽器編成なので、ピッチは低く設定されている。
この演奏では、ナチュラルトランペットと
ナチュラルホルンが使用されている。
それらは、バルブを持たない単純な構造になっていて、
高度な演奏技術が求められる。

 

 

王宮の花火の音楽
☆<Music for the Royal Fireworks >HWV351
1748年に作曲された。
オーストリア継承戦争終結のために開かれた
アーヘンの和議を祝う祝典のための管弦楽組曲。
この作品はアンハルト=ツェルプスト公アドルフ・フリードリヒの
王女とフリードリヒ大王の弟、
カンバーランド公ウィリアム・オーガスタスの結婚を祝うため、
ロンドンのグリニッジ公園で開催された
豪華な花火大会のクライマックスに委嘱された。

 

この組曲の序曲は力強く、
ダイナミックなリズムと華やかなオーケストレーションが特徴で、
その壮大な開幕は聴く者に強烈な印象を与える。
ヘンデルはこの作品を通じて
王室イベントの雰囲気を見事に音楽で捉え、
彼の作品が後世に残る大きな影響を与えた。
初演は野外で行われた。

 

 

この組曲は,花火が打ち上げられる前に演奏される序曲と,
花火の合間に演奏されるいくつかの小品からできている。

 

1 – Ouverture: Adagio, Allegro, Lentement, Allegro
2 – Bourrée
3 – La Paix: Largo alla siciliana
4 – La Réjouissance: Allegro
5 – Menuets I and II

 

フランス風の序曲から盛大に始まる。
華やかな金管とリズミカルなティンパニ。
メリハリの効いた明快な曲調。
これから始まるイベントの高揚感を表す素晴らしい序章。
舞曲の後、歓喜(La réjouissance)で最高潮に達し、
メヌエットIIで締めくくる。

 

古楽器編成の動画をもう一つ。

 

先ほどの動画に比べて全体にゆったりと余裕のある演奏。

 

 

戴冠式アンセム
☆Coronation Anthems: Zadok the Priest HWV258

 

1727年ジョージ2世の戴冠式のために作曲されたのがこの曲。
1. 『司祭ザドク』HWV258
2. 『汝の御手は強くあれ』HWV259
3. 『主よ、王はあなたの力に喜びたり』HWV260
4. 『わが心は麗しい言葉にあふれ』HWV261
4曲全てが奏されることは少ないが、
『司祭ザドク』はイギリスの戴冠式では必ず演奏される。

 

静かな出だしから突然始まる合唱は壮大で圧倒的。
王の神聖性と民衆の祝福を力強く表現している。
UEFAチャンピオンズリーグのテーマ曲として使用されているのは、
ブリテンによるトランペットのファンファーレなどを加えた
アレンジ版である。

 

 

オルガン協奏曲<かっこうとナイチンゲール>
☆Concerto for organ and orchestra in F major
“The Cuckoo and the Nightingale”

 

1. Larghetto
2. Allegro
3. Organo ad libitum
4. Larghetto
5. Allegro

 

ヘンデルのオルガン協奏曲で最も有名な曲。
1楽章のラルゲットは、穏やかであるものの、
慈愛に満ち溢れた素晴らしい楽章。
2楽章のアレグロは、某格付けチェックの番組で使用されている。
軽妙で愛らしい曲。
かっこうとナイチンゲール(夜鳴きウグイス)の
鳴き声の掛け合いを表している。

 

 

ハープ協奏曲変ロ長調HWV294a
☆Harp Concerto in B-flat Major

 

1763年に初演された世界最初のハープ協奏曲
第1楽章の冒頭は親しみやすい旋律でよく知られ、
CMや番組のBGMとしてたびたび使用される。
ハープの澄んだ音色を生かした曲調とアンサンブル。

 

 

同じ曲のオルガン版。
☆Organ Concerto in B-flat Major op.4 No.6

 

とくに第2楽章のラルゲットは伸びやかな音のオルガン向きに感じられる。

 

ハープシコード組曲第1集第5番ホ長調 HWV.430
☆Harpsichord Suite HWV430 in E major

 

ハープシコード組曲第1集(出版1720年)8曲中の第5曲。
1. Praeludium
2. Allemande
3. Courante
4. Air with 5variations〜通称「調子の良い鍛冶屋」

 

「エアと変奏曲」の楽章がいわゆる「調子の良い鍛冶屋」
いわれについては諸説あるが、鍛冶屋とは関係がない。
ヴァリエーションが進むに従い、8分音符から16分音符、
3連符、32分音符と徐々に細かくなっていき、
テンションはあがっていく。

 

ピエール・アンタイによる全曲のチェンバロ演奏で。
溌剌としていて、チェンバロの歯切れの良い音が合っている。
「エアと変奏曲」では、ゆったりと始まり、徐々にテンポを速くしている。

 

ピアノでもよく演奏されている。
ラフマニノフによる「エアと変奏曲」の演奏。

 

強弱のつけ方と内声の響かせ方はさすが。
緩急の付け方はアンタイ以上。
特に32分音符の最終変奏は圧巻!

 

 

ハープシコード組曲第2集第4番ニ短調 HWV437より
「サラバンドと2つの変奏」
☆Harpsichord Suite HWV437 in D minor〜Sarabande

 

ゆったりとした印象的な主題。
その後に2つの変奏が続く。
このサラバンドは映画「バリー・リンドン」に使用されている。

 

Olivier Baumontによるチェンバロで。
1. Prelude
2. Allemande
3. Courante
4. Sarabande
5. Gigue

 

映画「風の谷のナウシカ」から久石譲作曲
「風の伝説」「ナウシカ・レクイエム」
今をときめく「かてぃん」こと角野隼斗による演奏で。
2:26 あたりからヘンデルのサラバンドを引用。

 

 

ハープシコード組曲第2集第1番変ロ長調 HWV434より
「メヌエット」
☆Harpsichord Suite HWV434 in G minor〜Menuetto

 

ケンプによる編曲版。
物悲しくもあり、慈しむような、心に滲み入る曲調。
この曲の演奏を初めて聴いたのは、
アンヌ・ケフェレックの佐倉でのコンサート。
それ以来、ラ・フォルジュルネで彼女の演奏で3回ほど聴いている。

 

András Schiffによるピアノで。
1. Prelude
2. Sonata
3. Aria and Variations
4. Menuetto

 

この曲の第3楽章「アリアと変奏」は、
ブラームスが1861年に作曲した
「ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ」
テーマとして使われている。
この曲は、変奏曲の大家であるブラームスが、
音楽的内容の頂点をきわめた作品。
バッハ「ゴルトベルグ変奏曲」、ベートーヴェン「ディアベリ変奏曲」
シューマン「交響的練習曲」と並んで、
音楽史上の変奏曲の歴史を飾る曲である。

 

カッチェンの演奏で。

 

2回にわたりヘンデルの名曲を紹介しました。
彼の作品を全て聞くのは困難ですが、
このほかにも佳作が多く、
「6つの合奏協奏曲集作品3」
「12の合奏協奏曲集作品6」など
通して聴いてみるのも面白いでしょう。

 

 

【医院からのお知らせ】
クリニックの看板と外装をリニューアルしました。

 

 

 

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ヘンデル その1

こんにちは。院長の波木です。

 

バロック時代の巨匠ヘンデルの名前や彼の曲を知っている、
あるいは聞いたことがあるという方は多いと思います。

 

また、知らず知らずのうちに聴いていた曲が
ヘンデルの作品であったということもあるでしょう。

 

今回は、バッハと同じ1685年に、
同じドイツで生まれたヘンデルについて、
お話ししたいと思います。

 

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ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル
(George Frideric Handel 1685-1759)
作曲家、オルガニスト

 

 

1685年ドイツ・ザクセン地方のハレに生まれる。
ヘンデルは幼少時から非凡な音楽の才能を示していたが、
父は息子が音楽の道へ進むことには反対していた。
隠れてクラヴィコードを練習し、才能を見せるようになる。
聖母マリア教会のオルガニストだったツァハウ(1663-1712)に、
オルガン、チェンバロ、ヴァイオリンを習ううちに師を凌ぐようになる。

 

「隠れて練習するヘンデル」

 

ハレ大学に入学、法律を学ぶ予定が音楽への興味が勝り、
大学を辞め、ドイツでもオペラが盛んであったハンブルグへ移る。
ゲンゼマルクト劇場でヴァイオリン奏者として採用され、
その後チェンバロの通奏低音奏者や演奏監督として活躍するなど、
実地の経験を積みながらその影響を受けた。
1704年当時のハンブルク・オペラの中心的な作曲家カイザーに代わって
ヘンデルがオペラを作曲することとなった。
ヘンデルにとって最初のオペラ「アルミーラ」は大成功を収めた。

 

その評判を聞いたトスカーナ大公子フェルディナント(メディチ家)から
誘いを受け、1706年から1710年までイタリア各地を巡った。
ローマではオペラの上演が禁止されていたため、
ヘンデルはオラトリオを作曲している。
フィレンツェで最初のイタリア・オペラ「ロドリーゴ」が上演された。
1708年にはオラトリオ「復活」が上演され、
ヴェネツィアで上演されたオペラ「アグリッピーナ」は大成功を収めた。
外国人の作品がこれほど成功するのは異例であったが、
周辺国の侵攻や経済的没落により
斜陽を迎えていたイタリアに留まる理由はなかった。

 

1712年にロンドンへ移住すると、イギリスの音楽シーンで活躍し、
「水上の音楽」を発表。
貴族たちによってオペラ運営会社「王室音楽アカデミー」
中心的人物となった。
1723年に王室礼拝堂作曲家に任じられていたヘンデルは
1727年にはイギリスに帰化する
ロンドンでの初期の活動はオペラ作品が主であったが、
次第にオペラ熱も冷めていき、
後期にはオラトリオが中心となった。

 

現在も知られているヘンデルの曲の多くは、
1739年以降に作曲されている。
1740年合奏協奏曲集「作品6」を出版。
1742年初演の「メサイア」は大好評であった。
1749年「王宮の花火の音楽」を発表。
1751年左眼の視力の衰え、やがて右眼の視力も弱り、失明。
1759年体調の悪化により74歳で死去。

 

ひっそりと埋葬されることを望んだ本人の願いにもかかわらず
3000人もの民衆が別れを惜しむために押し寄せ、
無数の追悼文が新聞や雑誌を賑わせた。
のちに伝記が記されるなど、
作曲家としては異例の扱いを受けた。
ヘンデルは生前から高く評価され、没後すぐに神格化された。
当時としては初めての試みである作品集が死後出版され
多くの合唱団にその音楽が受け継がれたこともあり、
ヘンデルは名声が没後も衰えなかった最初の作曲家となった。

 

バッハが教会音楽を中心に内省的で重厚な作風であったのに対し、
ヘンデルはエンターテインメントとしての音楽を
いかに作っていくかということを常に考えていた作曲家であった。

 

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今回取り上げるのは、オペラとオラトリオ。

 

オペラ
舞台上で衣装を着けた出演者が演技を行う点で
演劇と共通しているが、セリフだけではなく、
大半の部分(特に役柄の感情表現)が歌手による歌唱で
進められることを特徴とする。

 

オラトリオ
元は宗教曲で、聖書などから取った台詞を多用し、
オペラと同様の音楽形式で進められるが、
舞台装置やセリフ、衣装、大道具などはなく、
声楽とオーケストラで演奏される。

 

最初に紹介するのは、誰もが知っているこの曲。
しかし、大半の人がヘンデルが作曲したということを知らない。

 

☆オラトリオ「ユダス・マカべウス」HWV.63より
「見よ勇者は帰る」(1746年)「Judas Maccabaeus」HWV63,
Part3-58 ’See, the Conqu’ring Hero Comes’

 

 

オラトリオ「ユダス・マカべウス」の第3部に登場するコーラスで、
戦争で活躍した公爵の帰還にあわせて書かれた作品。
英雄ユダの凱旋を民衆が歓喜とともに迎える場面を表現している。

 

世界各地で大会の優勝者を称える曲
表彰状授与のBGMとして定着している。

 

 

☆オラトリオ「メサイア」HWV.56 より「ハレルヤ・コーラス」(1741年)
「MESSIAH」HWV56 / Part2 ‘Hallelujah!’ Chorus

 

オラトリオ「メサイア」は、バッハの「マタイ受難曲」と並ぶ
宗教曲の傑作として、世界中の音楽愛好家から高い評価を受けている。

 

 

「ハレルヤ・コーラス」は名実ともにヘンデルの作品で最も有名な曲
シンプルな旋律だが、荘厳で美しい。
キリストの復活と最後の審判を讃える力強い合唱で構成されている。

 

 

☆オペラ「リナルド」HWV.7a より「私を泣かせてください」(1711年)
「Rinaldo」HWV7a ’Lascia ch’io pianga’

 

このアリアのオリジナルの旋律は、
オペラ「アルミーラ」でサラバンドとして作られた。
その6年後「リナルド」のアルミレーナのアリアとして
再使用されたのがこの曲。

 

 

ストーリー:
十字軍騎士リナルドには、総司令官の娘アルミレーナという許嫁がいた。
ところがエルサレム征服まであと少しというところで、
魔女アルミーダにアルミレーナが誘拐され、
敵軍の王アルガンテに求愛されるが、
愛するリナルドへの貞節を守るため
「苛酷な運命に涙を流しましょう」と歌うアリア。

 

歌詞:
「どうか泣くのをお許しください
この過酷な運命にどうか自由にあこがれることをお許しください
わが悲しみは、打ち続く受難に鎖されたまま
憐れみさえも受けられないのであれば」

 

歌詞の内容は、悲しみを表すものだが、
天上を想起させるような儚くも美しい調べになっている。
たびたびドラマの挿入歌などに使われている。

 

 

☆オペラ「セルセ」より「オンブラ・マイ・フ」(1738年)
「Serse, Xerxes」HWV40, Act I ’Ombra mai fu’

 

 

ヘンデルは没後も名声が落ちなかったが、
レパートリーに残ったのはごく一部の作品だけだった。
オペラ作品についてはほとんどが忘却され、
「セルセ」もその例外ではなかったが、
「オンブラ・マイ・フ」だけが 19 世紀に「ヘンデルのラルゴ」の名で
愛唱されるようになった。
1906 年ラジオの試験放送で
「世界で初めて電波に乗せて放送された音楽」でもある。

 

このアリアはオペラ「セルセ」の第1幕冒頭で歌われるもので、
ペルシアの王「セルセ」が
プラタノの木陰に向かって歌う場面で知られている。
歌詞は木陰の美しさと涼しさを讃えるもので、
セルセの愛情を表現するために使われている。

 

歌詞:
かつて、これほどまでに
愛しく、優しく、
心地の良い木々の陰はなかった

 

下降と上昇を組み合わせた美しく伸び伸びとした旋律を、
優雅な伴奏が支える。

 

 

☆オラトリオ「ソロモン」HWV.67より
「シバの女王の入城」(1748年)「Solomon」HWV67,Part3
’The Meeting of King Solomon and the Queen of Sheba ‘

 

「シバの女王のソロモン王への訪問」

 

第3幕にふたつのオーボエと弦楽器による
短く生き生きとした曲想で知られるシンフォニア。
その部分だけが有名になり、しばしば結婚式で演奏されるほか、
ロンドンオリンピックの開会式で演奏された。

 

 

軽妙で華やかできらびやかな曲想は、
まさしく女王が城に入っていく様を思わせる。
ふたつのオーボエのハモりが秀逸。

 

 

☆オペラ「エジプトのジューリオ・チェーザレ」HWV 17より
「難破した船が嵐から」(1724年)
「Giulio Cesare in Egitto」HWV17, Part3 ’Da tempeste il legno infranto’

 

 

「ジュリオ・チェーザレ」とは、「ガイウス・ユリウス・カエサル」
(英語表記でジュリアス・シーザー)
古代ローマ帝国の軍人を主人公にしたオペラ。
1724年にロンドンで行なわれた初演は大成功を収め、
ヘンデルをロンドン・オペラ界を代表する作曲家にした作品。

 

 

「難破した船が嵐から」は、
海で死んだと思われていたチェーザレが生きていた喜びを、
クレオパトラが歌い上げる場面で使われる。

 

メリスマ(歌詞の一音節に対して複数の音符を割り当てる歌唱様式)を
多用する技巧的にも難しい曲。
希望を抱かせるような早いパッセージを、上下に激しく動かす印象的な曲。

 

 

ここ数十年間は、長い間見捨てられていた
ヘンデル・オペラの復活気運が高まり、
「ヘンデル・ルネサンス」とも言われている。

 

次回は、ヘンデルの管弦楽曲、器楽曲を取り上げます。

 

 

 

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『ラ・フォリア』

こんにちは。院長の波木です。

 

私が好きなクラシックの作曲家を順位づけすると、
バッハ、ラフマニノフ、ベートーヴェン、ブラームス、ショパン、
ラヴェル、ドビュッシー、プーランク、スカルラティ、ヴァイス。

 

クリニックでBGMとしてかけているのは、
バッハやヴィヴァルディやモーツァルト、
コレルリ、ロカテッリ、トレッリ、ヘンデル、ゼレンカなどの
バロック〜古典派の作曲家が主体となっています。

 

バッハの次に好きな作曲家は、セルゲイ・ラフマニノフ。
時代としては「近代」に分類されます。
しかし、作曲の手法や曲想としては、
ショパンなどの「ロマン派」に近く、
独特のロマンティックな旋律に、複雑な展開、
超絶技巧を要する難解な作曲手法が特徴です。

 

そんなラフマニノフの代表曲
「コレルリ(あるいはコレッリ)の主題による変奏曲 Op.42」

ウラジミール・アシュケナージによる演奏。
哀愁を帯びた美しい旋律。
まさにロマンチック・ラフマニノフの真骨頂!
奏者は、ラフマニノフと出身国が同じ。
完全に手の内に入れています。

 

ラフマニノフが作曲した中でも、大好きな曲ですが、
タイトルには以前から疑問がありました。
テーマに使ったフレーズ
(冒頭の レ・レ・ミ・ド レ・レ・ド・レ・ミ)は、
アルカンジェロ・コレッリのオリジナルではなく、
もっと以前の「舞曲」に由来するものだったからです。

 

その舞曲は「フォリア」と言います。

 

彼が、「フォリア」を知らなかったと言うことはないと思いますが
コレッリの考えた主題だったと勘違いしていたため、
間違ったタイトルをつけてしまったと考えられています。

 

ラフマニノフを魅了したフォリアのテーマ。

 

400年前に作られた曲が、
ラフマニノフだけでなく、それ以前にも、
多くの作曲家のインスピレーションを刺激し、
作品に昇華させています。

 

そんなたくさんの作品の中から
いくつか紹介していこうと思います。

 

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フォリア(folia)は、イベリア半島起源の舞曲。
15世紀末のポルトガルあるいはスペインが起源とされるが、
いずれかは定まっていない。
「サラバンド」と同じく3拍子の緩やかな音楽。
「フォリア」とは、「狂気」あるいは「常軌を逸した」という意味があり、
もともとは騒がしい踊りのための音楽であったことが窺われるが、
時代を経て優雅で憂いを帯びた曲調に変化した。

 

「フォリア」は、低音部の進行及び和声進行が定型化されるにつれて、
これをもとに変奏曲形式で演奏することが広まった。
基本的に、短調。
イ短調の場合、A-E-A-G-C-G-A-Eという調子。

 

17世紀にはイタリアで大流行し、多くの作曲家が採り上げている。
このような手法は、「シャコンヌ」「パッサカリア」などの変奏曲、
あるいは『パッヘルベルのカノン』とも共通するものである。

 

とくに、アルカンジェロ・コレッリの
『ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ』作品5の12曲中
最後に置かれた『ラ・フォリア』がよく知られる。

 

 

その後も各時代で扱われたほか、
「フォリア」とは明記されていないものでも、
「フォリア」の低音部進行を部分的に採用している曲も多い。
(from ウィキ)

 

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最初に取り上げるのは、「フォリア」の名前を広めた作品、
コレッリのヴァイオリン・ソナタ。

 

Arcangelo Corelli : ヴァイオリン・ソナタ 作品5第12番《ラ・フォリア》
(出版 : ローマ 1700年)

 

コレッリが、1700 年にローマで出版した
ヴァイオリン・ソナタ集(作品 5)
憂いを帯びた優美な低音主題にのせて、
緩急さまざまで多彩な変奏が行なわれる。
変奏数は23。

 

 

ヴァイオリンの名手だったコレッリ。
この曲には、ヴァイオリンの運弓(右手の動かし方)技法が
たくさん盛り込まれていて、
演奏する上でも、楽曲を聞く上でも
魅力にあふれた作品になっています。

 

バロックダンスの付いた動画で。

 

 

続いて同じ頃(1703年)にヴィヴァルディが作曲したトリオソナタ。
27歳の若きヴィヴァルディが、コレッリの作品を参考に作曲したと
考えられている。
変奏数は19。

 

アントニオ・ヴィヴァルディ : トリオソナタOp.1-12
《ラ・フォリア》ニ短調RV63

全体的に単調で、彼の後半生の作品に比べると
2本のヴァイオリンの絡みも少ない。

 

マラン・マレ(1656-1728)はフランスの作曲家。
ルイ14世の宮廷を舞台にヴィオラ・ダ・ガンバの名手として活躍し、
作曲家としても、オペラ、ヴィオルを中心とした
室内楽作品を多く残しています。
「スペインのフォリアによる変奏曲」は、
ヴィオル曲集第2巻に含まれています。

 

マラン・マレ:スペインのフォリアによる変奏曲

ヴィオラ・ダ・ガンバとテオルボという組み合わせ。
通奏低音を奏でるテオルボが上の音域、
旋律を奏でるガンバが下の音域なので、
全体にしっとりとしつつ重厚感のある演奏になっている。

 

少し時代を遡ってみます。

 

アンドレア・ファルコニエリ (1585-1656) :Ciaccona and Folia
カンツォーナ第1集(1650)に含まれるこの曲は、
前半部のシャコンヌから、フォリアへ。

コード進行は同じだが、ファルコニエリの作品では、
メロディーラインはコレッリやマレの作品に比べるとはっきりしない。
そのかわりに舞曲としてのテンポ感と激しさが備わっている。

 

アレッサンドロ・ピッチニーニ (1566-1638) は
イタリアのリュート奏者。
Alessandro Piccinini:Partite variate sopra la Folia aria romanesca

リュートの素朴な響きを生かしたシンプルな変奏曲。

 

アントニオ・デ・カベソン(Antonio de Cabezón, 1510-1566)
スペインの作曲家・オルガニスト
カベソン:Pavana Con Su Glosa

 

この曲の起源はフォリアや民謡で、
比較的厳格な形式になっている。

Folias Criollas(作曲者不詳、1500)

緩くフォリアの型は感じるが、かなり淡い。
パーカッションが入って、リズミカル。
フォリアが舞曲由来だということがわかる。

 

17世紀以降のコレッリやヴィヴァルディ、マレらの作品は、
後期フォリアと呼ばれ、テンポが遅くなり、
コード進行が一定の型になっている。

 

現在につながる「ラ・フォリア」の典型は、この頃に定着し、
その後の作曲家がこれをもとに作品を作っている。

 

 

大バッハは、農民カンタータの中に取り入れている。

 

J.S.Bach:「カンタータ(農民カンタータ)BWV.212」

ドイツ的な厳格さを備えた作り。
変奏はなく、あくまで歌伴として使っている。

 

フェルナンド・ソル(1778-1839)は、スペインの作曲家、ギター奏者。
ソルは、ギターの音楽レベルを可能な限り高め、
ギターを世に広める努力をした。
ギターのベートーヴェンと呼ばれる。

 

ソル:スペインのフォリアOp.15

 

C.P.Eバッハ (1714-1788)は、J.S.バッハの息子。
父の影響を最も受け、当時は父よりも有名であった。
特に鍵盤楽器作品が多く、200曲以上のソロ曲を残している。

 

C.P.E. Bach:
12 Variations on “La Folia d’Espagne” in D Minor, Wq.118, No.9(1778年)

フォリアの主題の使い方、変奏の独創性、
緩急の付け方などを取っても傑作と言って良い。

 

 

フランツ・リスト(1811-1886) は、言わずと知れたピアノの魔術師。
『ハンガリー狂詩曲集』に代表されるように、
リストは民謡などの土着音楽を収集し、それらをもとに作曲を行っていた。
『スペイン狂詩曲』もこの種の作品と考えて間違いない。

 

Franz Liszt:
Rhapsodie espagnole, S. 254 “Folies d’Espagne et jota aragonesa”
スペイン狂詩曲(スペインのフォリアとホタ・アラゴネーサ 1858年)

前半は、フォリアの低音部と和声進行をもとに変奏。
後半部分、速いテンポの「ホタ(スペインの民謡や舞踊のジャンル)」で
劇的な盛り上がりを作り、
前半のフォリアが長調で華やかに再現されて楽曲を閉じる。

 

 

現代の曲の中にもテーマが使われている作品や、
コード進行を取り入れている作品も多数存在する。
それだけ、人々の耳に残り、心に沁みる音楽だということなのでしょう。

 

「フォリア」のテーマを憶えて、曲の中でその主題の変奏される様を
比較して聴いてみるのも面白いかもしれません。

 

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「フォリア」のテーマを使った曲を書いた作曲家

 

ガスパー・サンス、ストラーチェ、A.スカルラティ、
フレスコバルディ、マラン・マレ、リュリ、
J.S.バッハ、ジェミニアーニ、C.P.E.バッハ、
サリエリ、ソル、リスト、ブゾーニ、
ラフマニノフ、ロドリーゴ

 

★ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」第2楽章にも
フォリアの和声進行が取り入れられている。

この動画の中では、5分41秒あたりから6分までの
バスのコード進行がそれにあたります。

 

 

 

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