2025年11月17日
クラシック音楽界に静かな衝撃が走りました。
約300年前に
“音楽の父” ヨハン・セバスティアン・バッハが
書いたかもしれないとされてきた、
真贋が不明だった2つの鍵盤作品が、
新たに真作と認定されたのです。

その2曲の楽譜は、1992年ごろベルギー王立図書館で発見されました。
19世紀の著名な音楽学者で作曲家でもあった
フランソワ・ジョゼフ・フェティスが収集した、
膨大な音楽資料「フェティス・コレクション」。
その中に含まれていた、無署名・無日付の写本に、
当該の楽譜が記されていました。
発見と研究を主導したのは、ベルギー出身のバッハ研究者で、
現在はライプツィヒ・バッハ資料館長を務めるペーター・ヴォルニー氏。
当初、この2曲は作者不明とされていましたが、
ヴォルニー氏はその様式的特徴から、
バッハの初期作品ではないかと推測しました。
調査の過程で、まず明らかになったのが、
楽譜の書写者がアルンシュタットの
サロモン・ギュンター・ヨーンであるという点です。
さらに、ヨーンとバッハの間に師弟関係があった可能性を視野に入れ、
様式分析と歴史的背景の検証が30年以上にわたって重ねられました。
その結果、この2曲はバッハが18歳前後、
すなわち1703年ごろに作曲したものであることが明らかになりました。
長年にわたる調査と楽譜の精査を経て、
「99.99%バッハ自身の筆によるもの」との確信が示され、
同日バッハの作品目録(BWV)にも正式に登録されました。

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<ヨハン・セバスティアン・バッハの生涯>

アイゼナハ時代 (1685-1695)
ヨーハン・セバスティアン・バッハは1685年、
アイゼナハで町楽師の末子として生まれた。
オールドルフ時代 (1695-1700)
リューネブルク時代 (1700~1703)
アルンシュタット時代 (1703~1707)
短期間ヴァイマル宮廷で楽師兼従僕を務めたのち、
故郷テューリンゲン地方のアルンシュタットで
新教会(現在のバッハ教会)オルガニストに就任。
1705年には北ドイツのリューベックを訪れ、
マリア教会の大オルガニスト:ディートリヒ・ブクステフーデから
大きな刺激を受けた。
オルガン曲とクラヴィーア曲のほか、教会カンタータの作曲も
この時代に始まった。
ミュールハウゼン時代 (1707~1708)
ヴァイマル時代 (1708~1717)
ザクセン=ヴァイマル公の宮廷オルガニストとなり、
『オルガン小曲集』をはじめ、現存するオルガン曲の大半を作曲した。
ケーテン時代 (1717~1723)
アンハルト=ケーテン候の宮廷楽長時代で、
職務として『ブランデンブルク』をはじめとする多数の協奏曲、
『無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ』
『無伴奏チェロ組曲』をはじめとするさまざまな室内楽を作曲した。
また主に弟子の教育や家庭での演奏を目的として、
『2 声・3 声のインヴェンション』、『平均律クラヴィーア曲集第1巻』、
『イギリス組曲』、『フランス組曲』 など、
クラヴィーア作品が集中的に書かれた。
ライプツィヒ時代 (1723~1750)
ライプツィヒでトーマス教会カントルという要職に就任し、
現存するものだけでも約160曲の教会カンタータ、
『マタイ』と『ヨハネ』などの受難曲や『クリスマス・オラトリオ』など、
教会声楽曲の作曲と演奏が活動の中心となった。
またのちには大学生の演奏団体コレギウム・ムージクムの指揮も引き受けて、
『コーヒー・カンタータ』 などの世俗カンタータ、
室内楽やクラヴィーア協奏曲 などの器楽曲も作曲した。
この時代にはまた自作品の出版にも意欲を見せ、
4巻の『クラヴィーア練習曲集』を出した。
その中には6曲の『パルティータ』、『イタリア協奏曲』、
『ゴルトベルク変奏曲』などが含まれている。
(ピティナのサイトを参考に再構成)
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新たに加わった番号は BWV1178 と BWV1179
● 「シャコンヌとフーガ ニ短調 BWV1178」
● 「シャコンヌ ト短調 BWV1179」
バッハ研究史における近年まれに見る大ニュースとなりました。
初演は追加当日の11月17日。
バッハが27年間カントル(教会音楽家)として務め、
死後、埋葬されたライプチヒの聖トーマス教会で、
320年の時を経て演奏されました。

<聖トーマス教会>
聖トーマス教会は、ドイツ・ライプツィヒにあるルター派の教会。
音楽史上非常に重要な場所であり、
ヨハン・セバスティアン・バッハが1723年から亡くなるまで
カントール(音楽監督)を務め、現在、彼の墓が教会内にある。
● バッハゆかりの地
バッハはここで「マタイ受難曲」などの名曲を作曲・演奏し、
彼の遺骨は教会の内陣に埋葬されている。
● 聖トーマス教会少年合唱団
世界的に有名な少年合唱団「聖トーマス教会合唱団 」の本拠地であり、
彼らによる礼拝でのモテット演奏や定期的なコンサートは、
観光客に非常に人気がある。
● 建築と雰囲気
教会はゴシック様式で、内部はシンプルながらも荘厳な雰囲気。
特にパイプオルガンの音色が素晴らしいと評判。
● バッハの記念碑
教会の外には、古いバッハの記念碑がある。
演奏者は、オランダの著名なオルガン奏者で指揮者でもあるトン・コープマン。
そして、その模様はYouTubeで公開され、
それが世界初演、初録音、初録画になりました。
まさしく現代のネット社会だからこその演出!!
コープマンはこう語っています。
「これらの作品は非常にクオリティーが高く、
大きな教会オルガンから小型オルガンまで、
どんな楽器で演奏しても理想的だ。
最初に演奏できたことを誇りに思う」
では、コープマンの演奏を聴いてみましょう。

☆Chaconne BWV1178
独自のバス主題を用いた、ドイツ式のチャコーナ。
途中でフーガを展開したのち、主題に戻っていきます。
バッハの完成された作品に比べると、
テーマや変奏に若書きらしい粗削りな部分もありますが、
細部に渡る繊細な曲構成は、バッハ以外に同時代の誰が出来るのか?
という感じはします。
☆Chaconne BWV1179
バッハ作品にしては、音数の多さが際立っています。
初演ということと、バッハゆかりの教会というシチュエーションが相まって、
コープマンも緊張していたのでしょうか。
後半、かなりギリギリの演奏でした。

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バッハは、その生涯に1000を超える作品を残しましたが、
シャコンヌと題された作品は、1720年バッハが35歳の時に作曲した
『無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番ニ短調 BWV1004』
の終曲 5.Ciacconaにしかありません。
(形式としてシャコンヌを取り入れた曲は数曲ある)
<シャコンヌ>
「シャコンヌ」の初出は新大陸ペルーからで、
主に16世紀にスペインで急速に流行った
3拍子の舞曲「チャッコーナ(chacona)」が起源とされる。
特定の和声進行や、短いバス声部を繰り返し
(執拗に繰り返される低音主題=バッソ・オスティナート)、
その上で変奏を重ねていく形式の楽曲。
イタリアでは舞曲性を保った明るく快活な長調作品が多く、
フランスでは独自の様式を持つ「フランス風シャコンヌ」が成立した。
一方ドイツでは、イタリアのチャコーナを基盤に、
主として南ドイツのオルガン楽派によって発展し、
ヨハン・パッヘルベル、ディートリヒ・ブクステフーデは、
伝統的な低音型から離れた独自のバス主題を用いるようになった。
ドイツの器楽アンサンブル作品ではフランス風の形式が踏襲される一方、
オルガン作品に見られるドイツ風チャコーナとの融合も進む。
ヨハン・ゼバスティアン・バッハの
『無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番』終曲「シャコンヌ」は、
フランス風シャコンヌとドイツ風チャコーナの融合が到達した、
ひとつの極点に位置づけられる。

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追加された2曲のシャコンヌは、
アルンシュタット時代(1703~1707)の作品と考えられ、
バッハはまだ若く(18~22歳)、作曲様式を確立する途上にありました。
2曲の作品について考えられる可能性を分析すると
・真正性については、バッハの初期作品は様式的に変化が大きく、
他の作曲家の影響も受けていたため、完全に確定するのは難しい。
・アルンシュタット時代は教会オルガニストとして活動し始めた時期で、
教育的目的で弟子のために書いた可能性は十分ある。
・ブクステフーデやベームなど北ドイツの作曲家の影響を
受けていた時期でもあり、彼らの作品を研究し、模倣していた可能性もある。
音楽的特徴から判断すると(特にニ短調のシャコンヌは)
有名なニ短調シャコンヌ(BWV1004)に比較すると
構造がシンプルで、教育的目的で書かれた可能性を示唆しています。
弟子による筆写の可能性を含む点は重要で、
バッハ自身の作品を教材として使用したのか、
あるいは他の作曲家の作品を研究目的で筆写させたのかは、
様式分析と歴史的文脈からさらに研究が必要でしょう。
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発表から数日で、世界中のさまざまな演奏家が、
こぞってこの2曲の演奏動画を投稿しています。
これもまた現代ならではの展開。
☆Chaconne BWV1179
Norberto Broggini によるチェンバロ演奏。
パイプオルガンの演奏に比べて残響が少ない分、
各声部の響きが明瞭で分かりやすくなっています。
バッハが後年に追求した高度なポリフォニー的書法は、ほとんど見られません。
変奏もあっさりとしており、全体としては簡潔で素朴な印象を与えます。
☆Chaconne BWV1178
クラヴィコードの演奏で。
演奏者はこう語っています。
「私はクラヴィコードで弾くことで、舞曲的な雰囲気や、
どこかスペイン風の要素まで浮かび上がってくるように感じます。
曲は変奏と反復から始まり、
その後にフーガが続きます(いかにもバッハらしい)。
ところが終わりには「ダ・カーポ」という、やや不思議な指示が書かれている。
えっ、全曲をもう一度最初から弾くの?
それともフーガのところまで戻って終えるの?
私はテーマを再現して締めくくる形にしました。」
クラヴィコードならではのシンプルな音で聴くシャコンヌは、
スペイン由来の形式を上手く表現できていると思います。
☆Chaconne BWV1178
Daniel Beilschmidt によるパイプオルガン演奏。
温かみのある音色が特徴的で、ゆったりと余韻を保ちながら
音楽が展開していきます。
このように聴いてみると、BWV1178の主題は短いながらも、
バッハらしさを感じさせる性格を備えていると言えます。
☆Chaconne BWV1178
Ivan Rolonによるピアノ演奏で。
楽譜を見ながら演奏を聴いてみると、
旋律に対しての対旋律が弱いことがよくわかります。
ただ、後半のフーガに入ると、バッハらしいポリフォニーの妙が
垣間見られます。
抑制された演奏から、曲の骨格が鮮明に浮かび上がってきます。
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チャッコーナ(シャコンヌ)と、後に同一視されるパッサカリアについて、
少し見てみましょう。
両者とも単にオスティナート・バスによる変奏曲を指す言葉なのですが、
その初期の音楽や出自はかなり異なるものです。
<パッサカリア>
パッサカリアの名は、1605年のスペインの小説 「La pícara Justina」 に
最初に現れ、スペインの「通りを歩く歌」に由来する舞曲。
シャコンヌと似ているが、固定された低音のパターンが特徴で、
バッハの『パッサカリアとフーガBWV582』や
ブラームスの『交響曲第4番』終楽章などで有名。
● シャコンヌ(Chaconne): 繰り返される和声進行(コード進行)の上で
変奏を重ねていく形式。
● パッサカリア (Passacaglia): 繰り返されるバスの旋律(ベースライン)
(オスティナート・バス)の上に変化をつけていく形式。
バッハやヘンデルの時代には、両者を区別して用いていたと考えられているが、
現代ではほぼ同義として扱われることも多い。
☆Passacaglia in C minor BWV582 (パッサカリアとフーガ ハ短調)
Reitze Smitsによる演奏。
作曲時期については諸説あるが、
ヴァイマール時代初期の頃のものとみられています。
曲頭8小節のテーマが足鍵盤のソロで壮重に奏されると
パッサカリアの形式により、それを元に次々に20回も
対位法的な変奏が行われます。
この変奏は、まさにバッハの作曲法の集約であり、
途切れることなく沸き上がる楽想は、聴く者を引き付けます。
バッハのこの野心的な作品は、変奏の後、
そのままパッサカリアの主題の前半4小節をテーマとしたフーガとなり、
自由に移調していくフーガを終結部とすることで、
通常のパッサカリアの単調さから見事に解放された作品。
バッハが、複雑かつ、魅力的な曲を書いたのが23~24歳だとすれば、
今回認定された2曲は、割と淡白な事から、
教育的目的に作られた可能性が大きいのかもしれません。
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今回の2曲の認定がなされる前には、バッハ作品で唯一のシャコンヌであった
『無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番ニ短調 BWV1004:
シャコンヌ』を見てみましょう。
<無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番ニ短調 BWV1004 シャコンヌ>
257小節に及ぶ長大な「シャコンヌ」を終曲にもつこのパルティータ第2番は、
この曲集の中で、最も著名な作品である。
全5曲
・Allemanda
・Corrente
・Sarabanda
・Giga
・Ciaccona
シャコンヌの名称どおり、変奏曲の形式を持つが、
ニ長調の中間部を有する三部形式とも取れる。
音楽的な構成としては、冒頭の8小節に現れる
低音の下行テトラコードをシャコンヌ主題とし、
種々の変形を受けながらこの主題が 32 回現われ、
そのたびに上声を連続的に変奏する壮大な作品となっている。
エディソン・デニソフは全曲に管弦楽伴奏を施し、
ヴァイオリン協奏曲に編曲している。
シャコンヌについては、ヨハネス・ブラームスによる
左手の練習のためのピアノ版、
フェルッチョ・ブゾーニによる両手のためのピアノ版、
レオポルド・ストコフスキーによる管弦楽版など様々に編曲されている。
シャコンヌは、バッハ作品の中で頂点に位置付けられる名曲。
バッハがバイオリンという楽器の特性を最大限に活かす工夫を施し、
演奏者にそれを具現化させる為の余白を含ませるという、禅問答のような曲。
もちろん、前提にしたバイオリンによる演奏は、
「正しい解」ではあるのですが、
正面から向き合うには、荘厳で、重た過ぎる・・・
(いつかブログ記事として取り上げる時にまた)
今回は、リュートとクラヴィコードの編曲版を聴いてみましょう。
まずは、ホプキンソン・スミスによるリュート演奏。
リュートという楽器の音色は、
ギターに比べると弦の素材の違いもあって物悲しい。
その明るくはない音と、この曲の持つ憂いや悲哀がマッチしていると感じます。
特に注目してもらいたいのは、4:10からのアルペジオ。
バイオリンだと、奏法と弦の配置上、かなりの技巧を要する難所。
リュートやギターの場合、両手が使えることもあって、
アルペジオの響きの美しさと余韻が堪能できます。
Alexander von Heißenによるクラヴィコードによる編曲&演奏で。
原曲より1オクターブ上な事もあり、
バイオリン演奏とは違って、重さや暗さが感じられない。
所々に、重音やハーモニーを入れながら、
全体としては、落ち着きのある演奏。
使用しているクラヴィコードは、
1787年アンスバッハのクリスティアン・ゴットロープ・フーベルトの楽器を
コピーして製作されたもの。
広がりと余韻のある音、タッチの素晴らしさ、
鍵盤の数は多く無いのに、難曲を弾きこなせる技量、
それらが相まってこの耽美な演奏が成り立っています。
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今回の新作認定は、バッハを心から愛する私にとって
喜びに満ちたニュースでした。
そして、それは世界中のバッハを敬い、
バッハを愛するクラシックファンや演奏家にとっても、
共通の喜びと言えるでしょう。
楽譜が世に出回って以来、
世界各地の演奏家たちが、さまざまな鍵盤楽器を使って、
さっそくこの2曲を取り上げ、動画を公開しています。
バッハ作品表の中には、本人の作品なのか疑問符が付いたもの(真贋不明)や、
本人作ではないもの(偽作)や、未完の断片があります。
その研究は現在でもなされ、日々新しい情報が上書きされています。
そして、今回のようなバッハマニアにとってのビックニュースが、
ごく稀に飛び込んで来るのです。
新しいバッハ作品と出会える喜びと、
「本当にバッハなのか?」というわずかな疑念?
その2つが共存しつつも、天秤はいつも喜びのほうに大きく傾いています。
たとえ、お墨付きを得た作品の真贋に、今後、疑問符が付き続けるとしても、
この2曲が、バッハの初期の音楽的発展や教育方法を考えるうえで、
貴重な資料であることは間違いありません。
カノンデンタルクリニック
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